クリミア自治共和国の独立

クリミア自治共和国の独立

今回もクリミア半島の歴史を振り返りたいとおもいます。
前回まで、13世紀のタタール人が半島の北部と中部に留まったことまで書いています。
ですから、この後の歴史を振り返りたいと思います。
キャプチャク・ハン国がティムール帝国によって滅ぼされます。
その後、チンギス・ハンの子孫であるガージー・ギライをハーンとしてクリミア・ハン国が成立しました。
最初、彼はクリミア一帯を統治していました。
そして15世紀にはバフチサライも領土に含めています。
しかし、彼の立場はオスマン帝国の属国の王でした。
1478〜1777年の帝国が滅亡するまで統治しています。
こんな中、オスマン帝国は露土戦争でロシアに負けてしまいます。
その結果、クリミア・ハン国はロシアに従属するようになります。
そして、1783年には、クリミア半島全土がロシアに吸収されます。
第二次世界大戦ではソビエト連邦の大祖国戦争の激戦の舞台になっています。
セヴァストーポリでは、1941年12月17日から1942年7月4日にかけて攻めてきたドイツ軍との間に攻防戦が起きてきます。
1944年には、タタール人のドイツへの協力を恐れたスターリン政権が強制的に中央アジアに移住させます。
その後、ソ連の一部となっています。
そして、1991年にソ連が崩壊すると独立したウクライナの一部となります。
1992年に現在の形のクリミア自治共和国が成立しています。

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